僕は小学生の頃、猫を飼っていました。 子供心というか、無いものねだりで猫を飼わしてよ~と親に頼み込んだんですね。それで、親が知人から子猫をもらってきたんです。それまで僕は動物を自分で遊んだりというのがなかったので、初めて我が家に猫が届いた時、「わーいわーい」と手放しで喜んでいたのは覚えています。その時の僕の喜び様は自分家の中の歴史でも相当な賑やかさを演出したそうです。

 猫の名前は「ポロン」と名付けられ、僕も最初はやはり新鮮さで可愛がっていました。成長していくにつれて餌の時だけ「にゃ~ご~」という感じですり寄ってくるので、ちゃっかりしてるなぁ、こいつと~なんて思ってました。

 そんなこんなで、1年か2年くらい経ったある日、ポロンがぐったりしていて様子が変なので「どうしたんだ、おいお前大丈夫か」と体をさすっていたらポロンは重い足取りでとぼとぼと歩いて行きました。

普段、ポロンが行くことのないというか(家の人間でさえも足を踏み入れたことのない)テレビの裏の隙間に入っていたんです。 我が家の愛猫が。

僕はその現場を一人で見ていてこれは変だなと思ったんです。キャットフードとかちょっと割高な、でもポロンが好きな缶詰とかポロリの口元に向けても無反応で…。よし!とっておきのマタタビをあげてみようと。

これをあげたら、さすがに元気になるだろうと思い、においを嗅がせたんです。いつもなら喜んで飛びつくはずなのに・・・・。 

 
 

 結局、死んでしまったんです。
そのまま…。最後に「にゃ~」と鳴きながら…。えっ!?マジで!もう死んじゃったのかな。もう目を覚まないのかな。どうしよう、俺が、ポロンが調子が悪いのにマタタビなんてやったから、そのショックでおかしくなっちゃったのかな。でもやっぱり死んじゃったんだよなという気持ちがほとんどでした。




  僕は一人でわんわん泣いて泣いて、そしたら父がたまたま会社から帰ってきて泣きじゃくってる僕を見て「なんだどうしたんだ」って心配そうに声をかけてきて、僕が、「ポロンが死んじゃった~涙」って言ったら、そしたら父は、「う~ん、そうか。よし、このままじゃしょうがないから俺が保健所に電話しとくから。大丈夫。もう泣くな、男なんだから。」と僕の肩を叩きながら、続けてこう言ってくれました 。

 
 猫は死ぬときは他の何物にも自分の姿を見られたくないんだよ。お前が、マタタビをあげたいという気持ち、行いは生き物として、人間として大事なことだよ、うん。俺は仕事があるから会社に帰るけどお前はあんまり目をこすりすぎるとばい菌が入っちゃうからもう泣くな」と。

その時の父の言葉、今でも忘れません。そうかー。猫は死に場所を求めるのかー、俺、その現場を見てよかったなと。ポロンが死ぬ時の「にゃ~」という鳴き声。 僕が猫の言葉を訳せたらなと思いました。